僕の名は、樽。途方もない時間をこの場所で過ごしている。しかし案外と退屈はしていない。穏やかな四季のうつろいも、霧を生む濃い湿気も、肌にあっているのかもしれない。それでも僕は忘れない。一本のミズナラとして群生していた頃のことを。共に過ごしてきた原酒のことを。その記憶はウイスキーとなって、飲む人のグラスに現れる。

熟成は、神秘か。必然か。

無色透明のニューポットを満々とたたえ、
僕は貯蔵庫で眠りにつく。これがいわゆる「熟成」だ。
熟成にはとにかく時間がかかる。短いものでも数年。長ければ20年、あるいはそれ以上
その間に樽の成分が溶け込むことで、ニューポットは、琥珀色に色づき、独特の熟成香が生まれ、
ウイスキーの「原酒」となる。熟成を、神秘とよぶか、必然とよぶか。
いまだに僕にも答えは出ない。

ピークは誰にでもある。問題はいつ訪れるかだ。

厄介なのが、長く寝かせるほどおいしくなるとは限らないということ。
樽ごとに熟成のピークがあり、若いうちに個性を発揮するものもあれば、長期熟成させてこそ
花開くものまで様々。その個性を見極めるのが難しいのだが、そこはブレンダーの腕の見せどころ
(ブレンダーという一風変わった人間たちについては、またそのうち)。

何にせよ、原酒が熟成し、ウイスキーとして世にでるのは、遠い先の話。
未来を想像できないものは、ここでは生きていけない。

どこから来て、どこへ向かうのか。

ここにはたくさんの種類の樽がいる。
樽を使いわけることで、多彩な原酒をつくりわけるためだ。例えば、樽の材質
樽はすべて木でできているが、アメリカ、スペイン、日本など、
さまざまな国のオークが使われている。産地が違うと木の持つ成分も異なるので、
できあがる原酒も変わってくる。

前歴」も重要だ。前歴とは、その樽がどんなお酒を熟成してきたか、何度目の熟成か
(樽は一度使ったら終わりではない。前の原酒の残り香を抱きながら何度でも原酒を熟成させる)
などの樽の経歴のこと。ここに来るまで、そしてここで過ごす時間。
膨大な時の流れがそこには横たわっている。

  • ワイン樽
  • シェリー樽
  • ミズナラ
  • パンチョン
  • ホッグスヘッド
  • バーレル

写真左から、 ワイン樽 ワインの熟成に使っていたもの。ワイン由来のフルーティな香りを宿す。/シェリー樽 シェリー酒を貯蔵していた樽。スパニッシュオークでできている。果実やチョコレート風味を原酒に宿す。近年調達が難しくなっている樽だが、ここではブレンダー自らがヨーロッパのメーカーと交渉し、安定的に供給することを可能にしている。/ミズナラ 日本産オークでできた樽。伽羅とも白檀ともとらえられる独特のオリエンタルな熟成香を生む。/パンチョン アメリカンホワイトオークでできた新樽。容量が約480リットルあり、樽材とウイスキーとが接する面積が少ないので、熟成が緩やか。/ホッグスヘッド バーレルを一旦解体した側板を使って、大きい鏡板で組み直した樽。容量約230リットル。/バーレル 容量約180リットル。内側を強く焼き、一度だけバーボンを貯蔵した樽。バニラのような甘やかな香りを生む。

天使は瞳を閉じない。

この貯蔵庫は、一切温度調整を行なっていない。
つまり暑い時は暑く、寒い時は寒い。同じ樽でも、貯蔵場所の温度や貯蔵庫内の
保管位置などによっても、熟成の香味は変化する。これもまた熟成のおもしろいところだ。
さらに、温度変化に合わせて樽自身も、夏には膨張し、冬には凝縮する。
その木目を通じて、原酒は空気中に蒸散され、中身は徐々に減っていく

これをスコットランドの人たちは「天使の分け前」と名付けた。
人間にウイスキーの作り方を教えた天使がその見返りとして、
少しずつ拝借しているというわけだ。夜になると、酔っぱらいの天使たちが、
宴会しているところを想像すると、ちょっとおかしい。

時間だけが知っていた、ミズナラという魔力。

たくさんの樽の中でも、
ミズナラ樽は特に個性的だ。
そもそも日本原産のこの樽は非常に希少で、
サントリーの持つ約百万樽のうちの数%ほど。

このミズナラには実に興味深いエピソードがある。
戦争中に樽の輸入が困難になった時に、
目をつけられたのが、ミズナラだった。
しかし、ミズナラの樽は原酒が漏れやすく、
その製樽作業は苦労の連続。
さらに、新樽では木香が強すぎると、
当初はブレンダーからも非難轟々。
しかし、ここでひとつの重要な事実が判明する。
新樽では強すぎた木香も、
長期熟成することで独特の香味が生まれたのだ。

そして今や、海外のブレンダーや
ウイスキー通からも高い評価を得ており、
なくてはならない存在となった。
時間だけがミズナラの魔力を知っていた、
というお話。